遠い日の遥か彼方

こんにちは!

昨日は、ずうっとあったのに、全然気づいていなかった祝福を認めた一日でした。

早朝にともに笑顔し、ランチを食べ、公園に行き、紅茶をいただき、プラタナスの木の下で瞑想してエネルギーを感じ、本屋に行き、ロールケーキを食べ、コーヒーを飲み、カフェラテを飲み、また呑み、喋り倒して帰りました。

ですが…。

それに限らない体験をした一日でありました。

それは、ロールケーキとコーヒーと友人との会話を経験した直後のお会計を済ませる直前の

狭間、境目の体験でした。

両親の友達であるご夫婦が、一緒に歩いていたので声を掛けて、いつも頂いている梅干のお礼を言いました。

数日前から感じていたこと。

全ての人が神の使いであり、また完全なる人間であるということを誰しもが深い部分に置いてある。

そこに触れたような、祝福を

私が理解しうる最高の形で三次元の世界に映し出した、天の采配に

更なる痛みのない課題を見出してみました。

先に正直に言うと…。

感覚がわからないからきっと、まだです。

ただ、言葉として書けるとしたら。

深海よりももっともっと

深く

深く

深い

エベレスト、チョモランマよりもずっとずっとずっと

高く

高く

高い

モノがある。らしい。

いや、言い切っていいと思う。

そういう場所にも存在し得るものは、

愛。

そして人間は、肉体を持った状態で、どれだけその意識の幅を広げていけるのかチャレンジしに来ていると言う前提。

一つの事象が驚くほどの自由度で満たされて、全ての階層が備わっている。

ごめんなさい。理解は出来ていません…。

本当のことはちゃんと隠されたままに。それもまた、

それがまさに、

人間にゆるされている愛だと思う、私。

これが、今の私です。

これが完璧だと言うのなら、深海より深く、チョモランマより高いモノを感じない事はないのでしょう。

その時に

父の親友と奥様は、個人であることを越えて、超えて、手放されていきました。

その時に、いや、そのもっと昔から。

私の友人は、その名を成していました。

その約束事は、ずっと以前にして来たモノ。

2018年の9月13日の夕方に手放される為に。私が破ってきた約束達だと思っていたモノ。違っていた。破られること、それが本当の約束だったこと。

全ての一族の為に。

わからない。

でも、これでいいのです。

それが遠い日の遥か彼方にあったこと。

それが2018年の9月13日であったこと。

それが今この瞬間にも、あること。

全てにあった、そのこと。

それが今の私。

カルマを超えて、ゆけるとしたら

その名は

希望

立川のタカシマヤ裏にあった、目が合った暁には、動けなくなる魔法でもかけられていそうな民族人形達(^^)/

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