私的陰陽統合 走ること。

おはようございます(^^)/

昨日、東京は一日中陽射しに恵まれ、なかなかの暑い一日でした。

皆様いかがおすごしですか?

私は京王駅伝フェスティバルに参加していました。私が参加している陸上チームの双方が参加する大会でしたので、片方だけで出るのは本当に気がひけて、一時は先に声を掛けてくれていたチームへの参加すらやめようか、と思っていました。

ですが、せっかくの成長の機会を逃したくない気持ちの方が強く、参加することにしました。

この大会はフェスティバルと銘打ってるだけあって、会場は出店やイベント等で盛況して、着ぐるみを着たご当地キャラもやいのやいのと大賑わい♡なのです。

サンリオピューロランドから駆けつけてくれたであろう、キティ駅長にも会えました。

親子ラン部門があったり、走ることにハートフルである会場の波長と、自分の波長が心地よくマッチしているのを感じ取っていました。

私が参加した部門は、20キロ女子の部でした。一人5キロ。

5キロって、長いんです…当社比ですが。

駅伝だから、ある程度速いスピードで走らないと抜かされたりもするので、走ることの中でも本当は結構ネガティブな感情を伴う競技だと思っています。特にスピードについてはなんの感情も持ち合わせていなかったので、なぜあんなに速く走れ、速く走りたいというランナーがいるのか?気持ちがさっぱり分からず、従って自分には程遠い話でした。

そして、ひょんなことから物語は始まっていました。

私は、元々スポーツは得意な方だと思っていましたが、中長距離だけは大嫌いだし、実際成績も良くなかったのです。さらに、一人で研鑽出来るタイプではないので、双方のチームの練習や今も変わらず走っている仲間達、走っているであろう仲間達がいなければとてもやっていけなかったと思います。

そのことについては、心から感謝しています。

本当にありがとうございます。

そうなんですが…そうすると何があるかと言えば…

練習に参加していると、目につく回数が増え、声をかけてもらえてしまうのです‼︎

初めて声が掛かった日は、何を仰っているのか頭の中で翻訳するのに時間を要しました。

なぜ?速く走るのは苦しいばかりという考えしか持ち合わせていない私に、何の喜びも見出せていない私に、なぜそのようなことをおっしゃっておるのか?そなたは…

出ない?ではなかろう。

出ない。であろう、正解は。

イントネーションが違うのではなかろうか?イントネーションを間違っただけではなかろうか?

でも、聞き返してもイントネーションは変わらず。その後に続いた言葉に軽いショックを受けていました。

人がいないんだよね。

テヘッとでも言い出しそうな監督の様子とは裏腹に、これは…断ったらダメなやつだ。と。絶望。

無理‼︎超絶自己中人間の私には無理‼︎速く走れないし、走りたくないし、緊張するし、人見知りだし、

とにかく、絶対無理‼︎

というのが、ある程度責任を伴う状態で参加した時の初めての感情でした。

それからはやいくとせ。

本当に変わった。

出来れば人生イベントからは外したい感情が伴わないかと言えば、そんなことはなく、いつでも今の自分の最大値にきんじしていると思っている速度で走るのはそれなりに負荷もかかるし…

何より、走っている時に、常に肺の中に存在している恐れの感情と向き合うのは自分にとってキツイのです。

これはマラソンよりもずっと辛いです。

なもんで、大して速くなく、スピードが上げられないことに根本的には悩んでいない私でもそう思うのです。

悩んでいないと言うよりは、仕方ないことで、練習するしかないことだから。

本当に悩んでいる人は、どうしようもなく苦しんでいて、辛すぎて、それがあんまり酷いから物凄いトレーニングが積めたりするんじゃないか?と思っています。辛すぎて、手放したりする時期もあるだろうかもしれないし。でもやっぱり走ることが好きだから、かえってきたりして。

いろんな感情を体験できる、魂磨きのツールとして、私とは比較出来ない磨き方をしているんだろうな。と。

どの磨き方でも、磨かれた魂の美しさは唯一無二って言うとこだけは、普遍なんだろうけれども。

ひとつひとつの大会の前に、不安になったり、まだまだ相対的な視点でネガティブな感情を感じている程度の陰しか知らない私ですが…

私は私なりに、走ることを愛しているのです。心から。

あれ?なんか文章の方向が…。

要約すると、走ることは私の中の陰陽統合なんです。マナカードなどもしかり。

あー…。そうだったんだね。

今、感情に任せて書いたら出てきました。

そんなツールに出会えたこと自体が、光眩しき祝福だとあなたは感じています。と、主が申しております。

預言カフェ風に書いて見ました。

前の方にツラツラ書きましたが、双方のチームが参加するのに片方のチームで…という私の感情とは別に状況は何にも問題はなかったのでした。

そしてどこにいようとも、私の両チームへの愛は太極図の様に存在し…

陰と陽で表されているものを双方のチームに見立てますが、それらは性質としてではなく、均等な分量を表すものではなく

ただ、二つで一つの私でした。

最初から、そうだっただけなんだろうと思います。

私が悩んでいた、その、問題なんて初めからなかったのです。

主よ、内なる気付きに感謝します。

と、言いたくなります。

受け入れ難きを受け入れ、その感情の光への移行を感じ取ったその時、内なる陰陽統合が成されたと初めて知る。

そこから

私という旅の、本当の物語が始まってゆくのだと

今、感じたのです。

でも、その旅はずうっと前から

私が産まれる前から

始まっていたんです。

そう感じたところで

だけれども…

スピードを上げていく肺の苦しさは、スピードを上げられる様になっても、変わらないと思います。

でも、そうやって、常に変わって行くのです。

何が言いたいのかと言えば

走ることが愛そのものだと

そんな私自身が愛そのものだと

ただ

この身体を持つ私という人間は、感じているのです。

変化だけは普遍だと言うように、愛もまた普遍なのだと思います。

数字やタイムやで現される数値には、絶対に現れない法則を感じ取って生きていた

そのことに幸ぞある。

走ることを通した素晴らしい贈り物。

感動に心震える。

製造、提供元  地球🌏

愛せていないことすらも愛だと、思います。

長文お読みくださりありがとうございました(^^)/

良き一日でありますように♡

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