記憶の中に(兆しと萌し) 易経1

ブログをご覧くださり、ありがとうございます(^^)/

昨日は、ご近所TOUMAIに縁のある方々に我が家にきていただいて、たこ焼きパーティーをしました。(タコパ)関西女子の作るたこ焼き!!お好み焼き粉だったけど、ふーんわり膨らみ、外側はパリッと本当においしかったです。あんなにたこ焼きを食べたのは初めてでしたけど、いくらでも入るっ✨

そして皆さん結構なスピでした。スピの会@高尾でした。有難うございました(^^)/

今日は、facebookで毎日読んでいる、今日の易経を学ぶコミュニティ:易経一日一言1030から。

11月3日に開催される、ゆるり市に出展するので宣伝・集客用の投稿をfacebookにアップしていたのですが。

一昨日タコパの為に部屋の片づけをしていて、目に入ったセミナー時に記録したノートで、その投稿にもう一通りの文章があったんだと思い出しました。それは、今日の易経一日一言1030に取り上げられていたテーマでもありました。

兆し と 萌し

私は後者の萌しがすっかり頭から抜け落ちていた状態で、書いていたのですが。

深まる秋の中に、冬の兆しがみられるかもしれない みたいなことを書いていて。多分時期的にそれで合っているのですが、後者の萌しも漢字が 産まれたて を含みとして有しているように見えてとても素敵だと、改めて思いました。

11月の上旬天気が良ければ、いくら山裾の高尾みどり幼児園でもこの萌しを見つけるのは難しいのかもしれませんが、もし、見つけることが出来たら心が躍るんじゃないか、と思いました。

今年の春から学び始めた、易経。相対すると、私のは多分学んでいると言えないのだと思います。

初めて講座を受講したのは竹村亞希子先生の格安講座でした。

そして初めて読んだのは、富山の水墨美術館でたまたま購入した金谷治氏の「易の話」でした。読んだ当初は、なんでこれ買ったんだろ??ぽいっ。と。

今年三月、スーパーヒーラーhauoli井上真由美さんのセッションを体験出来て、色々自分はそっちに魂が行きたがっていて、徐々にそれを顕在させている最中らしいこと。(当時は全く気付いていませんでした。)その本を購入したのも魂からの行動だったことも、帰宅後に「易の話」をもう一度読み返してみて納得しました。

ちなみに、hauoli井上さんのセッションはその後料金改定され、それでもなお、予約が取りにくくなってしまいました。

講座中もついていけず、高みにあることの精神性の強さや、自ら選択する意思・忍耐力の持続性や、今の自分とかけ離れた話の連続で段々呼吸が苦しくなるような感覚も、先生の一言で号泣したり、まるで情緒不安定。なんで自分がこんなところに来たのか。

先生の講座を受講しているときは、ふんふん。と一通り耳にしたことを理解したつもりになるのですが。帰って本を開いて、ノートを見ないで読んでみるとわかるわけもなく。だいたい…、先生の長年かけて得た解釈と本の解釈は当たり前に違っていて。しかもそれは、自分が読んでいるから違っていると思ってしまう。

一体、自分は何がしたいのか。これを書いている今もよくわかりません。ただ今エゴというものがめいっぱい過労気味に働いている。そんな感覚があります。

本ブログの元のホームページのトップにある文章 マナ・カードについて を考えているときに少しだけ感じたことがありました。

この文章を書いた時に、私の魂が喜んでいました。

それを深めたくて、また、ここに来たんだよ。と。

その魂に私という自分という肉体はこたえているのかな。今を生きているのかな。

なんだか書いていて悲しくなってきました。でも、なんにもないのに勝手に悲しくなるノスタルジーなんかどうでもいいので、少しでもまた近づくために学んでゆこうと思います。

長文お読みくださり、ありがとうございました(^^)/

写真は冬の萌し、薄氷。

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