せんそうの記録 書き直し最初と全然違う

先程上げた内容とかなり変えFacebookに投稿したので、こちらにもあげておきます!

普段、くだらない妄想とかして喜んでいたり、その人らしさに触れた時にテンションが上がったり、そんなことが好きなんですがーー。
毎年この時期は、少し真面目に考えています。考えているだけ。

数年前に投稿していた、某事件のあった場所で見た石碑。
終戦が報された日だと思うと、この石碑を思い出します。

ホントは 明治は遠くなりにけり だけど
これを見ると 昭和は遠くなりにけり だなぁと思います。
消えつつある、エネルギー。

保江邦夫さんの著書を読んでいて、昭和天皇がアメリカに対して使った力をアメリカに戦後研究され、同等の物理現象を起こせる装置を開発した辺りの話が書いてありました。

なるべくテレビは見ないし、新聞もちらっとしか見ませんから社会情報にとんと疎くなっているのですが、先日SNSで見た中国新聞のテレビ欄のアップ記事を見てちょっと驚きました。

その時間枠の頭文字だけで読むと、いまをせんぜんにしない と読めてその部分を赤枠で囲んであったのです。

頭に浮かぶ順に書いていて、とりとめもないし、何か主張がある訳じゃなくて。

昨年那覇マラソンを走っている最中、ひめゆりに向かう坂道で今迄浮かばなかった想いが浮かんできました。
青春真っ只中、これから人生花咲そうとしていた彼女達は戦時中どんな気持ちでこの坂を走ったり、歩いたりしたのかな。そんなことを意識したら、その夜、祖母と同名の当時ひめゆり世代だった女性が作った、戦中戦後を歌った短歌集を頂きました。

こんな気持ちだったの。とまるで言われた様な気がしました。

沖縄が持つ本土に対する気持ち。
ヤマトンチューはウチナーを日本だと思っていない、と書いてある文字から浮き上がってくる様な怨みをさわって、そんなことはない だからってわけじゃないけど走ってた。
少なからず、南方の坂を走る時には何かしら思いを巡らせていました。
それは昨年までの自分がしたかった事で、平成の内に終わらせたかったことでした。

凄惨な戦場の風景。
これでもかとそれを切り取った文字が連なるんだけど、リアルの容赦なさとは比べようもない。
大げさだと思うけど。
全てを受け入れた地を、時を超えて 何年もかけて私達もまた沖縄の人達とともに走る事で魂を鎮め、その地を綺麗にして行っていたと思いたい。回数少ないけど…汗

平成最後のレースのうちの一つだった、那覇マラソンの日に繋がった出来事。

その人はもう亡くなっていて、この石碑に刻まれている天皇の気持ちを知ることはなかったと思います。
彼女がこれを目にすることがあったなら。と思うけれど、そしたらその短歌集もなく、私が繋がることも、答え合わせもなかったなって思うのでした。

時代はもう令和、平和の形が無限大に表されて行きます様に…。
その祭典で、役目を果たしている魂の煌めきを楽しみにして。
あーワクワク♡

(Visited 48 times, 1 visits today)
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする